山野弘樹『VTuberの哲学』(春秋社)
(2024年4月読了)
バーチャルYouTuber(VTuber)は、我々の人生に彩りを与えてくれるありがたい存在です。彼女らの配信を鑑賞していると、その在り方の多様性に気が付きます。たとえば、VTuber概念の創始者として知られるキズナアイさんは、現実世界と切り離されたバーチャル世界の存在としての振る舞いを徹底していましたが、最近の多くのVTuberはそうではありません。極端なケースでは、おめがシスターズのように顔だけが部分的に3Dモデルになっている場合や、アズマリムさんが推進しているモトブログがあります。このようにもはやバーチャル世界に留まらない多様な実践をしているVTuberを、我々はどのように理解し、鑑賞しているのでしょうか。
本書ではこのような問いに答えるために、VTuberを単なる配信者(「中の人」あるいは「魂」)や虚構的存在者に還元しない「非還元主義」の立場から、彼女らの実践について分析していきます。率直に言って私には内容を批判的に検討していく能力はありませんが、第2章で導入されている「シームレスな鑑賞」という概念には感銘を受けました。というのも、これまで私は「中の人」の身体の一部がしばしば映り込む配信(典型的には料理配信など)があまり好きではありませんでした。バーチャル世界に住む(しかし自由意志を持った)存在という基本的なVTuberの定義を破壊してしまうからです。しかし本書ではアリストテレスのデュナミス概念を参照し、「可能的にはVTuberである要素を実際に存在するVTuberとして見なす」という「シームレスな鑑賞」を提案します。これを認めるならば、VTuberの多様な配信をより楽しめそうです。
このように、本書ではVTuberのファンならだれしも抱きうる問いに一つの見解を与えてくれます。また、議論を補強する大量の事例が紹介されるのを眺めるだけでも楽しいです。
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