田中大介『電車で怒られた! 「社会の縮図」としての鉄道マナー史』(光文社)
(2024年7月読了)
首都圏の郊外に住んでいると、通勤時に満員電車を利用することが避けがたい。そこでは人間がモノのように車両に詰め込まれており、人間として当然の権利が奪われているといっても過言ではないだろう。そんな満員電車をかろうじて利用可能なものにしているのは、乗車時にできるだけ車両の奥まで進んだり、リュックを前に背負ったりといった、各乗客のマナーである。
現代の鉄道マナーに類似した規範は、戦前から存在したらしい。当時交通道徳と呼ばれたそれは、電車内を家庭の延長とみなすことで、ナショナリズム的な発想によって正当化されたという。戦後になると交通道徳はエチケットという言葉で置き換えられ、西洋流の個人主義に基づく美しいふるまいとして称揚された。さらに1980年代以降、国鉄民営化と軌を一にして、マナーの名の下でセルフ・モニタリングに基づく規範の精緻化が進んでいく。現代では、人間工学的な座席のデザインや(テロ防止を口実とした)ゴミ箱の撤去など、規範に頼らない環境管理による統治も進んでいる。
社会の多様性が増大しつつあるいま、このような自発的なマナー頼りの状況がいつまで持続するかはわからない気がした。いずれにしても、とりあえずゴミ箱は戻してほしいのですが……。
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