中井遼『ナショナリズムと政治意識 「右」「左」の思い込みを解く』(光文社)
(2024年7月読了)
我々はしばしば、政党や個人の政治的立場をラベリングするために「右」や「左」といった表現を用いる。たとえば右派の人々は、ナショナリストであり、自由市場を支持し、マイノリティの権利を認めず、環境保護には消極的である、というイメージがある。しかし、こうした政治的トピックの間には本来は論理的つながりは薄く、実は国や時代によって「右」や「左」の内実は異なるというのが本書の主張である。
そもそも、政治的左右は少なくとも2種類に分けられる。一つは経済的な観点で、自由市場を支持するか再分配を重視するかという違いである。もう一つは社会文化的な観点で、いわゆる保守とリベラルの違いである。もともとはこの2種類の左右は相関していなかったものの、西欧では経済的右派は社会文化的右派に、左派はその逆に、移動してきたという歴史があるらしい。ところが東欧では逆に、経済的右派は社会文化的左派に結びつく傾向があり、まったく逆の相関を示すというデータがある。自明視しがちな経済的左右と社会文化的左右の関係も、実際には多様であるらしい。
また、右派とナショナリズムの結びつきというのも必然ではない。たとえば、西欧では極端な左派も(右派と同様に)ナショナリズムに基づく反EU政策を主張しているらしい。これは、現在のグローバリズムが経済強者のためのものであり、グローバル化の名のもとで弱者が搾取されているという認識に基づくようだ。
このように、左右やナショナリズムといったラベルと具体的政策との関連については、現代日本の常識がどこでも通用するわけではない。やはり、本来多次元の政策空間を無理やり1次元(あるいは2次元)の左右直線(あるいは平面)に射影してしまうと、どうしても無理が生じるということなのではないか。
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