R・F・クァン『バベル オックスフォード翻訳家革命秘史』(東京創元社)
(2025年3月読了)
19世紀、大英帝国は異なる二つの言語を翻訳する際に必ず生じる意味のずれから生まれる魔法の力を利用し、世界の覇権を握ろうとしていた。オックスフォード大学の王立翻訳研究所に入学した広東出身のロビンは、カルカッタ出身のラミー、ハイチ生まれのヴィクトワール、そして白人のレティシアの4人の同期と出会い、翻訳とそれが引き起こす魔術(銀工術)について学んでいく。
ネビュラ賞、ローカス賞を受賞するなど高評価を受けている本作の一つの読みどころは、歴史考証に基づく19世紀イギリスの描写と膨大な言語うんちくが生み出すリアリティであろう。しかし、本作を真に特別にしているのは、当時の苛烈な人種・性差別を様々な視点から描写した点である。主人公の同期4人組のうちレティシア以外は有色人種であり、作中で様々な差別を受ける。一方でレティシアもまた、当時のオックスフォードでは珍しい女子学生ということから、性差別的な対応を受けている。ところが、レティシアには他の3人を苦しめている人種差別が見えていない……。こうした状況は現実社会でも見られる切実な問題である。
本作の後半では、主人公たちは清に対するアヘン戦争の開戦阻止のための活動に奔走する。邦題には反映されていないものの、原題にはthe Necessity of Violenceというフレーズが含まれている通り、文字通りの「暴力の必要性」が明らかになっていく。巨大な大英帝国に暴力闘争を仕掛けていくロビンたちの苦難と懊悩は涙なしには読めない。いわゆる「テロとの戦い」に象徴されるように暴力による闘争が肯定的に語られることが少なくなった昨今の潮流に対して投げ入れられた、爆弾のような話であったと思う。
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