桐野夏生『日没』(岩波書店)
(2024年4月読了)
表現・言論の自由というのは論争の種になりがちで、反政権的な言論はもちろん、近年ではいわゆる「ポリティカル・コレクトネス」(「ポリコレ」)に反する表現も議論の俎上に上げられることがあります。本作品では、こうした反社会的とみなされた表現をする小説家が「療養所」に収容され「更生」を迫られる、表現の自由が失われた社会が描かれます。
本作品は、小説家・マッツ夢井のもとに「総務省文化局・文化文芸倫理向上委員会」を名乗る役所から召喚状が届く場面から始まります。社会から隔絶した「療養所」に収容された彼女は、人権を無視した虐待を受け、社会に適応した小説を書くように迫られます。この表現の自由への激しい弾圧は近年成立した実在の法律の拡大解釈によって実現してしまったということになっていて、こうした社会がすぐそこに迫っている(あるいはもう来ている)という恐怖を感じさせます。一般的には、ディストピアものは現在の社会からはかけ離れた設定になりがちのように思われます(『一九八四年』とか『侍女の物語』とか)。しかし、ここではあえて舞台が令和の日本に設定されていることで、現実と地続きになっている感覚をおぼえました。
個人的には、「療養所」の男性職員がみなスポーツ選手のように筋肉質で、不健康な生活を送っている作家を軽蔑する様子がしばしば描かれているのが嫌(ほめている)でした。ちなみに作者は、大震災で原発4基がすべて爆発した改変歴史ディストピアものの『バラカ』も書いています。こちらもいいとは思うのですが、登場人物の個性がみな強烈すぎて、ディストピアものとしての性質が薄れているかなという気がします。本作の方が狂った社会を楽しむことができました。
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